What's "NEOGEO"?

月刊アルカディア2010年4月号(2月27日発売)より

20年前に拓かれた「新たなる大地」

 今をさかのぼること20年前の1990年、大阪を拠点とするゲームメーカーSNKがアルファ電子(後のADK)の協力を得て、あるゲーム機を開発した。それは、業務用ゲーム機、及びそれと完全な互換性を持つ家庭用ゲーム機。二つ合わせて「新たなる大地」を意味する「NEOGEO」の名を冠されたそのプラットフォームは、のちに90年代ゲーム史に大きな足跡を残すこととなった。

本記事では、90年代の風雲児NEOGEOの生誕20年を記念し、改めてその足跡と功績を追っていきたい。
 まずは「業務用」家庭用と区別して、Multi Video System(以下MVS)と呼ばれるものについて、簡単に触れておきたい。
 MVSは、その呼称が示す通り、最大6本のロムカートリッジ(以下ロム)を本体にセットすることが可能で、プレイヤーはその中から任意のゲームを選んでプレイすることができる、という当時としてはあまり類を見ない機械であった(一般的には4本入りの筐体が多く普及していた)。
MVSが持つ特徴はいくつも挙げることができるが、業務用ゲームを設置する店舗の側にとって重要なものに「低価格」、「省スペース」の二つがある。
 当時の一般的な基板の価格は20万円前後であったが、NEOGEOはその中で、ロム単体で1本数万円という破格の値段を実現。これは、中小のオペレータにとっては、実にありがたいことであった。また先に述べたとおり、一つの本体に複数本のロムをセットできるという点も、多くの筐体を置くことができない中小オペレーターから支持を受けた。
 またこの特長により、MVSはゲームセンターのみならず、本屋や駄菓子屋、スーパーマーケットにも設置されることが多かった。その背景には、先述した通り複数のゲームソフトを1台の筐体に入れられるという省スペース性あったが、それ以外にも、販売だけではなくリース展開と徹底したサポート体制の存在もあった。これにより、業務用ゲーム機導入に付随する金銭的リスクと、必要とされる機械知識のハードルが大幅に引き下げられたのだ。こうして、MVSは全国各地のあらゆる場所に、その根を下ろしていくこととなる。

 全国各地に根を張った「小さなゲームセンター」は、若年層を中心に人気を集め、MVSそのものの商業的成功のみならず、アーケードゲームプレイヤー人口の拡大という業界全体への貢献をも果たしていく。
 また、別の大きな特徴として「業務用と家庭用で同一タイトル・同スペックのソフトが製造され、互換性を有していた」というものがある。それについては、次項で詳しく述べたい。

90年代ゲーマーにとっては懐かしい4枚挿しのMVS筐体。駄菓子屋や本屋、玩具店などで見かけることが多かった。100円2クレジット設定が標準だったため、子供の財布にもやさしかった。

家庭用ゲーム機としてのNEOGEO

 次に、いわゆる「家庭用」について語りたい。業務用のMVSと区別する際には「Advanced Entertainment System」(AES)とも呼ばれるので、本項では以下そのように呼称する。
 先にも述べたが、NEOGEOは業務用と同性能のゲーム機を家庭用としてリリースする、という特異な展開を行なった。
 とはいうものの、AESはその価格の高さゆえに当初は一般ユーザー販売はされておらず、レンタルビデオショップなどの店舗にのみ販売されていた。NEOGEOを遊びたい者は、店舗に置かれたものを借りて遊ぶ、というわけである。このような商法は例がなく、相当に野心的な試みであったといえるだろう。なお、AESの一般への販売が開始されたのは1991年からのことである。

 1990年といえば、業務用ゲームと家庭用ゲームの間に歴然とした性能差があった時代である。業務用から家庭用に移植されるゲームは多くあったが、(程度の差はあるものの)オリジナルに及ばないことが常であった。業務用ゲームと同等のものを自宅で遊ぶためには、業務用のゲーム基板とコントロールパネルを購入し、自分で配線を施す必要があった。そのため、金銭、手間のすべての点において負担が大きく、かなりコアなゲーマーのみに許された特権であった。
 また、AESの特徴として挙げておかねばならないことに「同梱のコントローラーがジョイスティックであった」というものがある。現在では業務用の部品をそのまま使用したジョイスティックが広く販売されているが、当時はマーケティングの問題から高性能なジョイスティックはほぼ皆無という状況にあった。AES同梱のジョイスティックは、一般家庭で遊ぶことを考慮した設計思想のもとに作られているため、レバーの玉の大きさ、ボタンの押し具合、天板の傾斜角度などが一般的な業務用筐体のものとは異なっていたものの、その完成度は高く、多くのユーザーに驚きと喜びをもって迎えられた。
 また、当時のゲーム機としては珍しく外付けのメモリーカードに対応しており、自宅で作成したセーブデータを(対応可能な筐体の種類は限られていたものの)ゲームセンターでも使用することができた。「業務用と家庭用の連動」というシステムは現在でもさまざまなメーカーが試みていることであるが、NEOGEOのメモリーカードはその先駆者といえるだろう。

当時の家庭用ゲーム機を大きく上回る性能を持ったAES。当時のキャッチコピーは「凄いゲームを連れて帰ろう」。

別売りのメモリーカード。ゲームオーバー時のステージデータなどが保存できた。

NEOGEOの歴史(1) ~黎明期、そして躍進

 NEOGEO最初期のころのタイトル群は、プラットフォームフォルダーであるSNKの作品が大半を占め、残りをADK作品と、極少数のタイアップゲームが埋める、という情勢であった。ジャンルとしては、SNKの『NAM-1975』、『サイバーリップ』や、ADKの『マジシャンロード』、『ニンジャコンバット』といったアクションシューティングや、『トッププレイヤーズゴルフ』、『リーグボウリング』、『ベースボールスターズプロフェッショナル』などのスポーツゲームが多く、レースやパズル、クイズといったゲームセンターの定番ソフトが一通りそろっていた。

 NEOGEOにとって大きな転機になったのは、90年代前半から始まった「対戦格闘ゲームブーム」である。このムーブメントがその後のNEOGEOのあり方に大きな影響を及ぼすことになる。
 NEOGEOの初期タイトルには、『餓狼伝説 宿命の闘い』や『龍虎の拳』といった格闘ゲーム作品があり、いずれも高い人気を得ていたものの、アクションゲームのゲーム性を色濃く受け継いだものであり、対戦を強く意識した作りではなかった。
 状況が一変し、本格的に対戦が盛り上がる契機となったのは『餓狼伝説2 新たなる闘い』だろう。前作の主人公3人に加え、8人のキャラクターが使用可能になり、基本システムに大幅な変更が加えられ、対戦時の面白さを意識したチューンアップが施されていた。
 また同時に、マシンパワーとロム容量に裏打ちされた華麗な演出や、滑らかに動くキャラクターグラフィックで、これまでに無い興奮をプレイヤーに与え、本作は瞬く間に大人気ゲームの座を獲得することとなる。そして、そのヒットに後押しされてNEOGEOそのものの認知度も一気に高まっていく。
 なお、このころから、ロム容量が100メガを超える作品が登場するようになり、有名な「100メガショック」のキャッチコピーが用いられるようになる。このインパクト抜群な煽り文句に、当時のゲームファンたちは文字通りただならぬショックを受けた。

派手なモーションとスピード感が魅力的だったNEOGEO格闘ゲーム。

初めて容量100メガを超えたタイトルは『龍虎の拳』だった。

NEOGEOの歴史(2) ~対戦格闘ブームを牽引

 大容量ロムから紡ぎ出される斬新なゲーム性と美しいグラフィックが、当時の少年たち、いや、大人たちをも虜にするまで、さして時間は掛からなかった。さきほど触れた『餓狼伝説2』の続編に当たる『餓狼伝説SPECIAL』は、前作以上のそう快感とボリュームで当時のシーンを席巻し、格闘ゲームの火付け役となった。

 『餓狼伝説2』から起こった大きな波は、このほかにもNEOGEOからさまざまな格闘ゲームを誕生させる。
 代表的な作品としては、『餓狼伝説』に続いて登場し、その硬派な世界観やNEOGEOのズーム機能を生かした画面演出、強いストーリー性で熱狂的なファンを獲得した『龍虎の拳』の続編。ほかにも、江戸時代の日本を舞台に、伝奇/時代小説的な世界観を描いた「サムライスピリッツ」シリーズは、武器を持った者同士の対戦格闘という新たな分野を開拓。魅力的なキャラクターや演出を武器に、シーンの中でも異彩を放つ存在として成長していく。
 SNKの盟友たるADKからは、個性的なキャラクターと野心的なシステム群を携えた『ワールドヒーローズ』の続編が登場。実験的なシステムの導入によって、後進のタイトルへさまざまな可能性を提示した。なお、このころからADK以外のサードパーティの参入も盛んになり、NEOGEOの陣容はより厚いものになっていくこととなる。
 こうして百家争鳴の様相を呈し始めた当時のNEOGEO格闘ゲームであるが、共通した部分を敢えて一つ挙げるとするならば、「時には無謀とも感じられるほどの、意欲的な挑戦があった」という点だろう。生まれたばかりの対戦格闘ゲームというフロンティアを、貪欲に開拓していくその姿は、当時の人々に新たなる時代の到来を予感させ、さらなる熱狂の渦に巻き込んでいったのだった。
 格闘ゲームの発展を支えた最大の功労者が、NEOGEOタイトルの数々であったことは疑いようの無い事実である。その働きは、単純にアイデア・技術的な面を開拓したのみにとどまらない。NEOGEOの新作には必ず、驚きと興奮を予感させる空気があった。「何かよく分からないが、新しいことが起こる気がする」……90年代格闘ゲームブームの熱狂を支えたのは、ゲームの面白さもさることながら、それ以上に、そういったユーザーの期待感や気分の盛り上がりにほかならない。そして、NEOGEOこそが、その気分を牽引したフラグシップだったのである。

盟友としてSNKを支えたADK。個性的なタイトルの数々は、数あるNEOGEO作品の中でも異彩を放っていた。

NEOGEOの人気を支えたキャラクターたち

 NEOGEOを語るに当たって、避けて通れないのが魅力的なキャラクターや世界観である。
 初期からの看板タイトルであった『餓狼伝説』シリーズの主人公「テリー・ボガード」は、既存のゲーム主人公像を打ち破るキャラクターであった。当時、格闘家といえばどこか求道者的な雰囲気をたたえたキャラクターを想起する人が多かった時代に、このアメリカ人青年はワイルドな風ぼうや豪快な技の数々、「OK!」の声とともに帽子を投げるスタイリッシュな勝利パフォーマンスを引っさげて登場し、人々の好奇の目を集めた。そのキャラクター性はシリーズ作品を追うごとに固まっていき、やがてNEOGEOと格闘ゲームシーンを代表する人気者へと成長していく。対戦格闘ゲームのブーム華やかなりしころ、世の少年たちはその帽子投げのパフォーマンスを真似たものであった。
 そのほかでは、「サムライスピリッツ」シリーズの「ナコルル」も世に広く受け入れられたキャラクターの一例である。アイヌ装束を基調としたデザインと、可憐な容姿と性格を持った小柄な少女は、「お供の鷹に命令を下して操作する」という斬新なキャラクター性能もあいまって、登場するや否や、男性ゲーマーの心を鷲づかみにした。そして、その人気はゲーマー間にとどまらず拡大していく。
 1994年に三鷹市水道局のポスターにナコルルが起用されたことをご存知の方も多いだろう。2010年の今でこそ、こういった例は珍しいものではないが、当時は子供向けのものを除けば、ゲーム/アニメキャラクターをパブリックな印刷物に起用する例はほぼ皆無であった。これは従来のゲームキャラクターの枠を飛び越えるような出来事であったのだ。また、別の見方をするなれば、「ナコルルが起用されたことで、ゲームキャラクターが市民権を得た」と言えるかもしれない。

 NEOGEOキャラクターの魅力は、異端のみが持つ新しさと、スタンダードが持つ力強さが、絶妙のバランスで混ざり合って生まれたものだといえる。ただ新しいだけでは、メインストリームにはなれない。しかしお約束ばかりでは、ユーザーの目を引くことはできない……。その二つをうまく融合させた場所から、圧倒的に新しいと同時に、のちの世においても支持されるだけの普遍性を持った、「新たなるスタンダード」と呼べるキャラクターが生まれたのだ。
 “The Future Is Now”……当時のSNKのキャッチコピーが表す通り、NEOGEOの画面には確かに「未来」が描き出されていた。

なお、上記の二人はSNKプレイモアが設けた社会貢献活動団体「ナコルル&テリークラブ」にもその名が用いられている。

NEOGEOキャラクターの影響力

 また、NEOGEOのキャラクター人気を語る上で忘れてはいけないのが、女性ファンの拡大とそれに伴うゲームセンターのあり方の変化であろう。
 ゲームセンターはその黎明期より、長く「不良のたまり場」、「何となく雰囲気が悪そうで入りにくい」というイメージがあった。実際のところ、NEOGEOブームのころにはゲームセンターの雰囲気は、そのようなパブリックイメージからは離れていたものの、一度定着したイメージは払拭し難く、女性客が気軽に足を運べるような場所だとは思われていなかった。

 大きな転機となったのは「THE KING OF FIGHTERS」(以下、KOF)シリーズの登場である。先述したとおり、それまでもNEOGEO作品に登場するキャラクターは多くのファンを獲得していた。が、キャラクターのファンは、男女比でいえば圧倒的に男性が多かった。その状況を大きく変えたのが、「KOF」である。第1作である『KOF'94』の主人公「草薙京」と、第2作『KOF'95』で登場したライバルキャラクター「八神庵」は、それまでアーケードゲームに興味が薄かった女性層から熱烈な支持を受けた。ゲーム誌などを見て、京や庵に恋に落ちた多くの少女たちは、それまで足を踏み込んだことも無かったゲームセンターに通い、画面の中で動き回る「京サマ」や「いおりん」の一挙手一投足に見ほれ、店舗に設置されたコミュニケーションノートに自分の思いを書き綴った。
 女性客の拡大は、世間に対し「ゲームセンターの健全化」をアピールする材料となり、また同時にオペレーターは、それまで少数派であった「女性のビデオゲーマー」を新たなる客層として顧慮するようになっていく。それまで、ほぼ「男のもの」であったゲームセンターの門戸をこじ開け、女性に開放したのは、京と庵、二人の人気キャラクターの功績が大きかったといえる。

 NEOGEOは、ゲームセンターを変えたのだ。

女性ファンの流入が本格的に始まったのは庵が登場した『KOF’95』から。京と庵は単体ではなく、その関係性において根強い人気を得たと思われる。キャラクター同士の関係の強さも、NEOGEO作品の特徴であり、また魅力でもあった。

NEOGEOの歴史(3) ~ゲーム史の転換点

 90年代半ばごろのゲーム業界の潮流として挙げられるのが、3Dグラフィックの隆盛である。3D技術を用いたタイトルは、ゲーム史の流れを大きく変えつつあった。各社こぞって「次世代機」を発売したのもこのころであり、多くのゲームファンたちは「何か新しいものが来ようとしている」という予感を胸に、ポリゴン、テクスチャマッピングといった新しい言葉にこぞって酔いしれた。業務用も家庭用も巻き込んだ、歴史の転換点が到来していたのである。

 その中、NEOGEOはお家芸であるドット絵による2Dグラフィックを、より洗練させていく。1996年には、当時「3Dゲームの技術」として認識されていたモーションキャプチャー(人体などの実際の動きをコンピューターに読み取らせる技術)を、2Dのグラフィック作成に利用した『ART OF FIGHTING 龍虎の拳外伝』のような意欲作も発表している。

 また、ドット絵技術の円熟を象徴する存在といえるのが、同年に発売された『メタルスラッグ』だろう。近未来の戦場を描いたこの作品では、鉄と硝煙の臭いが漂う兵器の数々と、コミカルで表情豊かなキャラクターを同時にデフォルメの枠に落とし込み、独特の魅力を表現。圧倒的な描き込みと、ハイセンスな省略の美が同居するという、一種矛盾した美しさは、3D技術の発展に浮かれるゲームファンたちに、冷や水を浴びせるがごとき衝撃を与えた。
 ちなみに、『メタルスラッグ』は1998年に発売された続編も好評を博し、今日に至っても新作がリリースされ、SNKを代表するシリーズとして愛され続けている。

3D時代に、SNKは新機軸として「ハイパーネオジオ64」を開発した。既存シリーズからは「サムライスピリッツ」、「餓狼伝説」関連作品がリリースされた。

ドット絵表現の一つの完成形とも言える『メタルスラッグ』。モブキャラクターの表情や、背景の小物に至るまで細かく描き込まれたグラフィックの美しさは、今も色あせない。

ハードとしてのNEOGEOのその後

 90年代後半も新たな作品を生み続けていたNEOGEO。
 しかし2000年に入り、衝撃的な事件が起こる。SNKが『KOF2000』を最後に、NEOGEOによるアーケード開発を縮小することを宣言。翌2001年、SNKはその歴史に幕をおろした。
「もうNEOGEOの新作に会えることは二度と無いのか」と多くのSNK/NEOGEOファンが悲嘆に暮れた。

 ところが幾多の紆余曲折を経て、旧SNKスタッフを中心とするプレイモア(現SNKプレイモア)が旧SNKの版権を取得し、『KOF2001』のリリースへとこぎつける。この突然の復活劇は、ファンに驚きをもって迎えられた。その後もNEOGEOは新作を生み出し続けた。
 なお、この頃の業務用作品には、『SNK VS. CAPCOM SVC CHAOS』のように、本体とロムとが一体型になったものがある。当時、古い型のMVSでは最新のロムが動かないことがあったことも、その一因であったようだ。NEOGEOハードがいかに長寿であるかを象徴するエピソードの一つと言えるだろう。

 そして、2004年に発売された『サムライスピリッツ零SPECIAL』以降、新作タイトルは供給されていない。
 しかし、いまも「NEOGEO」という言葉は、SNKの代名詞的な存在として、また同社の作品を表す一種のレーベル名として、人の記憶にその名を残している。

 20年前、当時のSNKスタッフたちが切り拓いた新たなる大地の名は、その偉大なる業績とともに、今後も色あせず、そこにあり続けるだろう。

プラットフォームとしてのNEOGEOから生み出されたキャラクターは、今もNEOGEOの名を背負い、活躍している。

PAGE TOP